教育困難大学(教育困難校)とは?Fランク大学とはどう違うの?
インターネット上で「教育困難大学」「教育困難校」という、あまり聞きなれない言葉が使用されています。
この「教育困難大学」「教育困難校」とはどういった意味なのでしょうか?
また「教育困難大学」「教育困難校」は「Fランク大学」と同じ様なニュアンスがしますが、その意味はどう違うのでしょうか?
調べてみました。
参考:「Fラン」の定義と社会一般的な認識
参考:どこからFランク大学?Fラン大の基準3パターン
●教育困難大学とは?:
東洋経済オンラインの定義によると、教育困難大学とは下記4点を満たす大学を指します。
<教育困難大学の定義>
1. 誰でも簡単に入学できる
2. 勉学に意欲的に励まなくとも卒業できる
3. 学生に勉強意欲が極めて低い
4. また学習させることが非常に困難
●Fラン大学と教育困難大学の違いは?:
その定義にもよりますが、ある一定の偏差値やレベルを下回る大学Fランク大学と呼びます。
一般的には、日東駒専より明確に偏差値が低い大学を指すことが多いです。
なお、Fランク大学の細かい定義を知りたい方は、こちらを参照してください。
従ってFランク大学と教育困難大学の違いは下記の通りとなります。
<Fランク大学と教育困難大学の違い>
Fラン大学 :偏差値で判断(客観的)
教育困難大学:学生と大学の質で判断(主観的)
そのため、偏差値が35程度のFラン大学でも、ゼミ活動が熱心で学生も勉学に積極的な大学は教育困難大学ではありません。
しかしながら往々にして偏差値が低い大学の学生は学習意欲が低いため、Fラン大学と教育困難大学は被る事が多いです。
従ってこの二つの言葉は実質的にはほぼ同義と見做してしまっても良いかもしれません。
*ただし、教育困難大学の条件のひとつ、「勉強意欲の極めて低い学生」は、偏差値の低い大学に通う傾向があります。そのため、Fラン大学が必ずしも教育困難大学ではないという一方、教育困難大学のほぼ全てはFラン大学に該当すると言えます。
●教育困難大学に通う学生の特徴:質問の意図を深く汲み取れない:
“「日本の植生と生態系」についての講義の際に、その教員は「日本の自然林にはどのような野生動物がいるか」と学生に質問した。指名した数名の学生が次々と瞬時に「わかりません」と条件反射のように答えた後、指名される順番ではない1人の学生が突然「ブタ!」と大声で答えた。”
参考:http://toyokeizai.net/articles/-/181672?page=2
上記の記事から分かる通り、教育困難大学に通う学生は、質問の意図を上手く汲み取れず、的外れな回答をしてしまうことが多いようです。
この場合の「自然界に住む動物は?」という質問の答えとしては、シカ、イノシシ、サルなどが期待されます。
また、これらの内容は小学6年生の理科、中学や高校の理科総合などでも同様の授業を受けているはずです。
しかし、教育困難大学に通う学生の多くはそれらの教養をきちんと身につけることができていないため、質問の意図がうまく汲み取れず、また自分の知識を応用して考えることも出来ないのかもしれません。
そのため、日本では一般的に家畜として飼育されている「ブタ」を野生動物の具体例として回答として挙げてしまうのです。
また、この学生はいわゆる「ウケ狙い」で答えたのではなかったようで、担当教授を愕然としたとのことでした。
●教育困難大学に通う学生の特徴:大学を「モラトリアムの期間」と考えている:
“その頃まで自分の進路をまったく気にしていないように見えた生徒たちが、突然、担任や進路指導教員に「せんせー、俺、大学に行こっかな。親も行けっていうし」などと口にするようになる。
〜中略〜
やりたいことがまったく決まっていないので、学部・学科選びも大変だ。結局、いわゆる「潰しが利く」といわれている社会科学系や文系の学部を選ぶことになる。大学側がいろいろと工夫して決めた学部の特色などもこのタイプの生徒たちはまったく意に介さない。ただただ「楽な大学」を選びたいと考えるのみなのだ。
この期に及んでもまじめに取り組もうとせず、「せんせー、俺の代わりに志望動機書っていうの書いてよ。どうせ、ばれやしないし」などと言い出す。教師はこうした生徒を指導しながら、心のどこかで「このいい加減な態度を面接では隠しきれないだろう。書類の内容も中身がないので、さすがに大学側も落とすかもしれない」という思いが頭をよぎる。しかし、意外にも、彼らが不合格になることは皆無といってよいのだ。“
参考:https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/「教育困難大学」で大暴れする不良学生の実態-学ぶスキルも意欲もないのに入学できる現実/ar-BBEH4LM#page=2
教育困難大学に通う学生は、大学を「遊べる期間」と考えていることが少なくありません。
そもそも、いわゆる「モラトリアム」的な進学は、数十年前から存在していました。
ただ、そうした学生であっても入試試験のために勉強に取り組むことによって、自然と勉強する姿勢が身につく環境があったのです。
しかし、大学全入時代と言われる昨今では、このような入学試験のレベルも極めて低く、「名前を書けば受かる」と言われる大学も少なくありません。
このように、入学試験の段階で勉強する機会を与えられなかった学生たちは、勉強する姿勢を身につけずに大学へと進学してしまいます。
また、入学後も彼らには勉強の機会がほとんど与えられません。
一般的な大学では定期試験に合格して単位を取得するため、それ相応の勉強が必要になります。
一方で教育困難大学の場合、試験の難易度が極端に低い傾向があります。
というのも、講義にほとんど出席せず、出席していたとしても隠れてスマホをいじっている学生たちにとって、通常の定期試験に合格することはほぼ不可能だからです。
それを見越して、教授も定期試験の難易度を低くし、場合によっては「感想文を書きなさい」「出席するだけで単位認定」などといった対応をすることも少なくないようです。
勉強する姿勢を知らず、そもそも勉強しなくても卒業することができる、教育困難大学。教育困難大学在籍期間が「モラトリアム期間」と化してしまうのも、無理もありません。
●教育困難大学に通う学生の特徴:一見真面目に授業を聞いている学生もいる:
“このタイプの学生たちは、どんな形態の授業でも、一応まじめに参加する。座席が指定されていない場合には、目立たないと考える後方の席を取ろうとする学生たちとは異なり、比較的前のほうの座席に座る。授業中に居眠りをしたり、スマホをいじることもなく、真剣に授業に取り組んでいるように見える。
しかし、試験を行うと、まじめな彼らは意外にも点数が取れないことが明らかになる。また、2,000字程度のレポートを課しても問題だらけだ。教員がレポートの大枠を提示し、その中で興味を持った事柄について調べて深掘りして書くように、という指示を出したにもかかわらず、提示した大枠そのもの、たとえば「日本の戦後政治」や「戦国大名について」といった題で書こうとする。当然、どこかのサイトをコピペした、総花的でとても内容の薄いものになる。“
参考:http://toyokeizai.net/articles/-/188391
教育困難大学に通う学生には真面目に授業を受ける学生がいるにも関わらず、彼らはきちんと学習したことを身につけていないようです。
その一番の原因は、学習への主体性を持ち合わせていないことです。
何を勉強するのか?そのテーマはどのように応用できるのか?など、多角的な視点での考察をすることもできず、またそれをすることができるだけの知識も持ち合わせていないのです。
そのため、一見授業を熱心に聞いていても、ただ文字の羅列をノートに書き写しているだけ、ということも少なくありません。
真面目に授業に集中しているように見えるのに、実際はなにも吸収できていない…ということも、教育困難大学に通う学生たちの特徴となります。
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